2008/02/09 | 恋愛における「待つ力」の偉大さ
类别(我的日志) | 评论(0) | 阅读(643) | 发表于 18:56

恋愛における「待つ力」の偉大さ

 

  動きたくない時、動けない時は誰にでもある。
  私にもあった。恋愛がドロドロしていただけじゃなく、仕事も家族もすべてがうまくいかず、孤独にさいなまれていた時期。「新しい恋愛がしたい」「人恋しい」と切実に思っていたものの、どうしても、動けなかった。仕事がら、人にはたくさん会っていたし、いろんな交流はあったけれど、本当のところ、誰にも何にも心を開けなかった。そういう自分が怠惰で勇気がないように思えて、恋っぽいものに身を投じてみるものの、根底のところでは心が動かなくてもっと落ち込んだ。うたかたの恋でも、楽しめたらいいのに、それすらも楽しめなかった。
  それでも、時間が流れるうちに、日々を積み重ねるうちに、ゆっくりゆっくり元気になっていた。
  無自覚だったけれど、あの頃、私は自分が再生するのを「待っていた」んだと思う。
  最初は、動いているのか止まっているのか、分からないくらいのんびりとした速度で、次第に心地よいリズムで、再生していった。
  再生した後は、ひとかわむけたみたいに心が軽くなった。少しづつ自然と、自分のまわりに好きな人が集まってきた。相手に素直に心を開くこと、深く心を通わせるということの大変さとよろこびみたいなものが、以前よりも、少しだけ、でも確実に実感として得られるようになっていた。
  よく「恋人が途切れない人」がいる。うちの妹とか、一部の友だちもそういうタイプだ。次々に素敵な恋愛関係を育めることもあるだろうし、そういうタイミングで強力な恋人と出逢う運命だってあると思う。私だって、毎回、長く間が空くとも限らない。
  でも、何となくの相手ではなく、心の底から自然とコレだ!と思える人とめぐり逢えることなんて、そう多くないとも思う。そして、そういう人と出会うには、運命とかチャンスだけじゃない、自分のほうの心の準備も必要だ。「とにかく恋がしたい」という欲望にエネルギーを費やして消耗していたら、本当にコレだと思う相手に出逢った時に、気付ける? 気付いたところで全力をそそげる?


 

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